OLの週末野望日記

週末が楽しみでしょうがないOLのライフログ

ストーリーテラー

それにしても寝違えたと思っていたあの背中の痛み。

あれはインフルエンザによる筋肉の痛みだったという。何とも踏んだり蹴ったりなオチ( ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾。

 

インフルでじっと寝込んでいるため、はからずも平昌オリンピックを布団の中から観戦することになった。

スポーツってやっぱり好きだなーとつくづく思う。

並はずれた才能のうえにストイックに積み重ねた努力や強靭なメンタリティを形にして「どうぞ!」と言わんばかりに見せてくれる。

どうであれメダル云々は結果だから、結果さえ出せばいいとする見方もあるだろう。

でも結果には過程があるように、アスリートにはストーリーがあって、それによっては結果以上に彼らのセカンドキャリアへの道すじをファーストキャリアのうちにすでに切り拓くことができる。

それを見せてもらったなーと。

それはアスリートでなくても一緒だなーと。

布団の中からひっそりと思った(*´︶`*)

 

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寒すぎる夜は

今日は朝からうっすら雪が積もってた。

ぬくぬくのふとんの中で早起きしなくていい休日の早朝に幸せを感じ寝返りを打ったのかそれとも打とうとしたのか、とにかく背中に痛みが走った。

あ"。寝違え"た"。。

背中が痛すぎて、首が上がらないよー٩( ᐛ )و。

 

昨日からカゼ気味なのでドラッグストアでPL顆粒を購入。病院でカゼの時にもらっていたPLが薬局でも買えるようになったってこの前CMで見たけど、早速お世話になるとは。トホ。

熱はないけど。何なら平熱より低いけど。トホホ。

 

口内炎もできたから、少しおつかれ気味なのかも。

ということで、滋養強壮にカルディコーヒーファームの参鶏湯を食べて元気になろう。

今晩は雪の予報。

あたたかくして早く休もうっと。

 

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ハッピーのコツ

花屋を通りかかってふと思うこと。

 

パートナーが花束を持って帰ってきてくれたらうれしい♡ᵕ̈*⑅୨୧って。

小さくてもかまわないからって。

何ならキッチンブーケで十分だからって。

 

こういうことが自然とできるひとはなかなかいない。

だけど世の多くの女子が望んでいること。

(注:女子は欲しいとは言いません。)

 

花束をプレゼントするだけで関係がうまく行くなら、みんなそうすればいいのに。

 

ひとりでいるとき、もらった花束を見ていると、

物理的には相手と一緒にいない時間にこそ気持ちがより添うようなぬくもりを感じるんだよねー♡

 

こういう小さなコツって生活の中にいっぱいうもれていると思う。

 

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現在地と目的地

死生観が変わるってこういうことなんだろうか、と思う出来事があった。

 

少し変化を感じていること。

目の前で起こっていることをないがしろにしないこと。今ある環境や自分の持っているもの、資質に目を向けること。適度に無関心であること。ヘルシーな他力本願であること。傍にいるひとに感謝すること。

そして、手を合わせること。

これって、信心深くなったというのでもなくて、ヨガでもそうだけど、手を合わせるのは自分の内側を見つめる合図みたいな感覚がわたしにはある。手を合わせるとき、わたしの輪郭から出るベクトルは内向きなのだ。

まだ自分の中で変化が起こっている最中だから整理しきれてない。

とりあえずここが現在地。

 

 

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コンパスのアプリ

節分。春はすぐそこ。暦では。

実際には今冬何度目かの寒波が来ている。

まじ、寒すぎるんですけど。

・゜・(ノД`)・゜・OMG。

 

ところで恵方巻き。

縁起物なので今年も買ったよ♡ᵕ̈*⑅୨୧

 

とは言っても私たちは、デパ地下でいろんなお店が個性を出して作る見目麗しい恵方巻きに食欲をそそられて、ほとんど楽しみで買うわけで、そんな中で列に並ぶ外国人を見かけると、わたしの住むこの地域では恵方巻きに文化的な意味合いはないことを鑑み、何だかバツの悪い気持ちになって、『日本人たるもの、豆まきの方をしなくては。』などと勝手なことを思いながら、かく言うわたしは節分商戦に乗っかって若干邪道感のある「えびアボカド巻」を買うというʕ•ᴥ•;ʔ。よりによって「ローストビーフ巻」と迷った末、そろそろ健診が控えてるから今年はヘルシーにとこちらにした次第ʕ•ᴥ•;ʔ

 

まあいいじゃないか。

今年の恵方は南南東だとか。

コンパスのアプリを1年ぶりに開く。

 

 

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自称人見知り

「私、人見知りなんです」

そう、よく聞くやつです。

わたしの知り合いで、わたしから見るとまさかこの人がと思う知人Aに試しに聞いてみた。

 

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わたし:自分のこと人見知りだと思う?

知人A:うん、人見知りだよ

わたし:じゃあさ、だれが人見知りじゃないと思う?

知人A:んーそうだなー、知人Bかな

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もちろん結論、知人Bも自分を人見知りだと思っているっていうオチ。

 

ただこういうとき、人は役割を与えられていると行動が変わる。

例えば役職、例えばキャリア。お兄ちゃん、お姉ちゃんとかも同じ。

役割で行動が変わると、もはや「自称人見知り」はなかなか見やぶることができない。

 

自分の中でニガテ意識があるものは自分に役割を振ると意外とやってくれるかもよー♡ᵕ̈*⑅୨୧

 

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ひらめきの『!』

ずっと『自分が』行動を起こすことにフォーカスしてきたけど、機会があって、『ひとが』行動を起こすことにフォーカスする立場になったとき、何だかとても腑に落ちた感覚があって、何かふわふわ漂っていたものがすうっとおさまるところにおさまった気がした。

 

私は自分のために考えるより、ひとのために考えることの方が知恵が出る。

 

この性質について自覚したとき、『もっと自分にワガママになっていいのに』というエッセンスが加わると、途端にこの性質がネガティブなものに感じられた時期があった。

でも、めぐりめぐってこの性質に立ちかえったとき、これは私の貢献の姿なんだという、おさまるところにおさまった。

何もネガティブなことなんかではなくて、だからといってポジティブなことでもなくて、ただただ私の一部。

 

視点を変えると見えてくることって意外とある。

悩まされていたことがカンタンに解決することって結構あるのだ。

ひらめきの『!』が頭にともる。

まさにワンアップの瞬間。

これってホントに快感だ。

 

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