蝉の羽化に立ち会った小学生の私のエピソード。(7/10蝉の音)
そこに思いを巡らせているうちに感じたこと。
記憶とはコントラストを深めて、情緒的に感じられるものだけど、一連の記憶の中にはいろいろそぎ落とされた情報がある。
それはこのエピソードで言うと、
羽化をした蝉がたどたどしく登った木は、実際にはトイレの木の柱だった。
だから私たちは、テントで就寝する前に行ったトイレに行く途中で蝉の羽化に立ち会ったのがリアルだ。
俯瞰的には滑稽に見えるかもしれない。
実際、「何もトイレの柱に登らなくても…」と当時私たちはおもしろがった。
ただ、蝉は大樹に登るのが目的ではない。
羽化することが目的だ。
ときどき思う。
例えば会社で上部組織に報告を求められているとき、タスクをこなすだけになっていたり、数字を合わせてみたり。
本質は何か考えないと、蝉は大樹を求めて、疲弊して羽化がかなわないことだってあり得る。