知人の子が不登校になってなやんでいる。
なやんで当然の重い事案だと思う。
勉強することの意味にぶつかっているらしい。
保護者として、人生の先輩として、何かできることがあるならと思うに決まっている。
何が正しいとか、間違っているとか、そんなことは言えない。
自分を振り返ると、高校生のときは社会に対する不満やオトナへの不信感、自我の現れと文学の導きでわざわざ小難しく考えるような時代だった。これも思春期に特有のものだと思う。
ただ、一概にそれを当てはめることもできないし、その子にとってピンとくるものが見つかるのか、それもわからない。
自分がこうして大人になった今、過去の時々の選択が正しかったかなんて、言ってもしょうがないところまできている。
ひとはなやみながら生きていくのだ。
今だって、直面するなやみに、先々のなやみがあるものだ。
なやましきかな。人生は。